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スレッド:最近の学芸面令和8年7月1日
- 最近の学芸面令和8年7月1日 - 波浪規定 2026/07/02(Thu) 18:26 No.35873
- シーボルト事件 - 波浪規定 2026/07/02(Thu) 19:15 No.35874
- Re: シーボルト事件 - 波浪規定 2026/07/02(Thu) 19:17 No.35875
- 冤罪? - 波浪規定 2026/07/02(Thu) 20:02 No.35878
最近の学芸面令和8年7月1日 投稿者:
波浪規定 投稿日:2026/07/02(Thu) 18:26:00
No.35873
『シーボルト冤罪?』(文化部 道下航)
シーボルト事件 投稿者:
波浪規定 投稿日:2026/07/02(Thu) 19:15:00
No.35874
> 『シーボルト冤罪?』(文化部 道下航)
江戸後期、禁止されていた日本地図の国外持ち出しを図ったとして、ドイツ人医師シーボルトが国外追放された「シーボルト事件」について、横浜薬科大学の梶輝行教授(近世日本オランダ交流史)が、持ち出しを主導したのは日本側とする新説を打ち出した。今年は江戸に訪れてから200年目という節目。”スパイ”だったシーボルトが自分で持ち出したという通説は、”冤罪”ではないかという内容に注目が集まる。
Re: シーボルト事件 投稿者:
波浪規定 投稿日:2026/07/02(Thu) 19:17:00
No.35875
> > 『シーボルト冤罪?』(文化部 道下航)
>
> 江戸後期、禁止されていた日本地図の国外持ち出しを図ったとして、ドイツ人医師シーボルトが国外追放された「シーボルト事件」について、横浜薬科大学の梶輝行教授(近世日本オランダ交流史)が、持ち出しを主導したのは日本側とする新説を打ち出した。今年は江戸に訪れてから200年目という節目。”スパイ”だったシーボルトが自分で持ち出したという通説は、”冤罪”ではないかという内容に注目が集まる。
Re^2: シーボルト事件 投稿者:
波浪規定 投稿日:2026/07/02(Thu) 19:41:00
No.35876
通説では、1828年(文政11年)8月、長崎・出島のオランダ商館付きの医務官だったシーボルトがオランダ船に持ち込んだ荷の中から、日本地図など国外持ち出し禁止の品が見つかったとされる。地図は、江戸滞在中から交流があった幕府天文方兼書物奉行の高橋景保から贈られたとされ、高橋ら関係者は捕らえられ、シーボルトは国外追放された。
だが、事件の審理中に高橋が獄中死し、事件の詳細には不可解な点が多かった。梶教授は、事件前の商館長だったドゥ・ステュルレルの「江戸参府日記」や、事件当時の商館長メイランの「公務日記」「特別日記」などオランダ側資料を基に事件の詳細を調べた。
その結果、ステュレルレが26年に高橋が持参した日本地図を見て、「大きなスケールの日本地図だった」と記載していることを江戸参府日記で確認した。高橋は以前にも、オランダ領内で地図を銅版画で作れる人がいるかとステュルレルに聞いており、複製を考えて見せたようだ。高橋は「国外に出すには将軍が許可するか、内密に行わなければならない」とも語っており、禁制品だと認識していたとみられる。
ただ、同年末にステュルレルは商館長を解任され、日本地図を受け取らないまま離日した。梶教授は、高橋がその部下だったシーボルトに、複製を依頼したと考えている。「シーボルトは、(オランダ領東インド植民地の拠点の)バタビア(現インドネシア・ジャカルタ)かオランダ本国での印刷を持ちかけられ、地図を渡されたのだろう」
Re^3: シーボルト事件 投稿者:
波浪規定 投稿日:2026/07/02(Thu) 19:59:00
No.35877
また、事件が発覚した状況についても不可解な点があるという。この事件は、28年8月8日夜から長崎を襲った暴風雨で、シーボルトが乗船予定だったオランダ船が座礁するなどし、それが再入港と見なされて積み荷の臨検が行われ、発覚したとされてきた。だが、公務日記などによると、事件直前には船に積み込む記述がなく、座礁から約3か月の間、臨検に関する記述もないという。
梶教授は「積み荷から日本地図持ち出しが発覚したという説は、オランダ側の資料からは認められなかった」と強調。「積み荷発覚設」は、事件直後から風聞として広まり、それが定着して通説となったと考えられるという。
シーボルトはのちに追放が解除され、59年(安政6年)に再来日している。シーボルトの子孫で、日本シーボルト協会の関口忠相会長は「これまで推測を交えた情報が多く存在していた。今後も研究が進むことに期待したい」と話す。江戸参府200年の記念事業の一環で、研究成果を基にした舞台「シーボルト父子伝」が7月3日〜5日に東京・三越劇場で行われる。
鴨が葱を背負って来る 投稿者:
波浪規定 投稿日:2026/07/04(Sat) 18:03:00
No.35882
> ただ、同年末にステュルレルは商館長を解任され、日本地図を受け取らないまま離日した。梶教授は、高橋がその部下だったシーボルトに、複製を依頼したと考えている。「シーボルトは、(オランダ領東インド植民地の拠点の)バタビア(現インドネシア・ジャカルタ)かオランダ本国での印刷を持ちかけられ、地図を渡されたのだろう」
シーボルトにしてみれば、「鴨が葱を背負って来る」ではないか。
冤罪? 投稿者:
波浪規定 投稿日:2026/07/02(Thu) 20:02:00
No.35878
> ”スパイ”だったシーボルトが自分で持ち出したという通説は、”冤罪”ではないかという内容に注目が集まる。
オランダの資料でスパイだということは証明されているが。
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