スレッド:最近の学芸面令和8年九月七日
最近の学芸面令和8年九月七日 投稿者:波浪規定 投稿日:2026/09/08(Tue) 20:08:00 No.36003
『古今をちこち』(磯田道史)

『「きっとよ」・・・この世ならぬ上品』
岸惠子 投稿者:波浪規定 投稿日:2026/09/09(Wed) 15:43:00 No.36004
> 『「きっとよ」・・・この世ならぬ上品』

女優・岸惠子さんが先月7日に亡くなり、私は追悼文やコメントを頼まれて書いた。
初対面は11年前の夏、大和ハウス工業東京本社でのシンポジウムで同席した。私は『ベラルーシの林檎』など岸さんの地球を股にかけた雄渾な随筆の書きぶりを尊敬していた。それで自著1冊に献呈岸惠子様と書いて署名。ポケットに忍ばせていた。
ところが対面するや岸さんが、「磯田さんの番組は全部みているわ」と、おっしゃり、5冊のサイン本を下さった。嬉しくなり、つい余計なことを口走ってしまった。「横浜白楽に慶大の書庫がありお宅の前をタクシーに通ってもらったことがあります」
すると岸さんがニッコリ。「あら、いらして」。社交辞令と思うことにしてシンポをすませ、車に乗り込む岸さんをお見送りしたその時だった。岸さんクルリと振り向かれ「いらして、きっとよ」と微笑まれた。あの「きっとよ」の言葉の上品さときたら、この世のものと思えない。ニホンカワウソや佐渡島のトキ同様に絶滅してほしくない日本美であった。
とはいえ、大女優の邸宅に、のこのこ行けない。耳底にのこった「きっとよ」が思い出になりかけた頃、電話が鳴った。文藝春秋社から「岸さんが菊池寛賞に選ばれ、ご自宅で記念対談を」という。あわてて薔薇の花束を買い込み、編集者と瀟洒な岸邸の前に立った。洋靴の麗人がすらっと立っていた。畳に絨毯を敷き靴で暮らしておられた。
Re: 岸惠子 投稿者:波浪規定 投稿日:2026/09/09(Wed) 15:59:00 No.36005
岸さんは難関・横浜第一高等女学校で成績トップクラス。高女で1級下の草笛光子さんも、この才色兼備の超絶先輩の本好きを証言しておられる。草笛さんには私の原作映画『武士の家計簿』等に出演頂いた。
90歳過ぎのこの世代は多感な時に戦争を経験。新日本の出発にも出くわしたため、自分・社会・日本・世界は「こうありたい」との理想をきちんと持つ立派な教養人が多い印象がある。岸さんも横浜空襲に遭う。家が燃え木登りして生還。その時、焼け残ったグラスでもてなして下さり「宿題も燃えたのはよかった」とニヤリ。胆の据わり方が違った。
元来、文学者志望だったが、撮影所見学に行き、あの容姿だから映画界に絡めとられ女優に。だから作家・学者への敬意が著しい。生きた現代史の人で、川端康成はじめ国際的文化人からの書簡も保管しておられた。「磯田さんの手紙も全部とってあるわ」といわれ、私のなんかいいが、岸惠子文書は、どうか散逸せぬようにと願った。
なにしろダリ・サルトル・藤田嗣治と、世界の要人に合っている。「ドゴールは戦時は英雄。でも戦後は太った政治家。妊娠中の私と握手したらお腹がぶつかったわ」。岸さんの電話は一度、かかってくると1時間半を超える。私の妻はその声量に驚き、岸さんコールは、我が家の名物になった。
Re^2: 岸惠子 投稿者:波浪規定 投稿日:2026/09/09(Wed) 16:05:00 No.36006
一度、ご友人と京都にこられ、ホテル日航の豊園で鉄板焼きを御馳走になった。6年前の正月だ。イラン取材中、警察に追われ走って逃げた話をしながら87歳とは思えぬ食欲でステーキを食べ、イラン情勢の話をされた。イラン革命防衛隊トップが米国の攻撃で死亡した時だ。「将来、イランとアメリカは戦争になるかも」と、現在の状況をもう予見されていたのを憶えている。すごい知性であった。
きけば、8月7日に自宅で眠るように亡くなる直前まで筆を走らせておられたという。岸さんのペンは最後に何を記していたのだろうか。

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