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>7373 キルドンム - 2009/01/15(Thu)00:56 No.7376
>それを云ったら西尾先生のだって全部が「日録」の「今月の仕事」に載ってる訳じゃないし。
ああ、そういえばそうでした(汗)。でも、あれとはやはり違うのではないですかな。個人のブログに、しかも著者本人のエッセイ的なものとして書かれているのですから、別にあそこにその月の「全仕事」が記されている、または記さなければならないとは誰も思ってはいない筈でしょう(あちらについていえば、「結果」よりもむしろ数年前まで「新年の豫定」として掲げられていたもののうち、いまだに影すら見えてこないものがかなりあることが気にかかる。『わたしの昭和史』のつづき、どうなっているのだろう)。それに対してこちらの方は団体のHPに一見、(著者本人の申告によるのか、それとも管理人——どんな人がしているのか、一向に顔が見えてこない——をしている人が独自に探し出しているのかは知らないけれども)客観めかしてこしらえてある。しかも、掲載基準が見えてこないだけでなく、それが当該団体の活動とどう結びつくのかわからない、つまり個人の言論として行われているものが多数を占めるというのが少し変に思えるのですね(〈機能〉面、あるいは〈傍目の利用価値〉についての疑問)。最近は看ていないのでわかりませんが、つくる会のHPで(あの人の時代を含め)こんなことをしていたことがあったかしら。会員の著作の紹介こそありましたが…。
それに、新聞・雑誌へのコメントの場合、発言者がどこまで「著作権」(と呼んでいいのやら^^;)を主張できるかも厄介になるのでは。特に電話口での応対ですませたりすると、後で言った言わないの争いの元になりかねません。それならば雑誌社に訂正を求めるか、自分の発信媒体を有していればそこで抗議なり釈明なりをすればよいだけのこと。事実あの人も『AERA』の常識ある人ならば誰しも読み違えようのないコメントについては言わずもがなの釈明を行っているのですが、何故かより重大なものをはらんでいる一昨年の『週刊朝日』の方についてはいまだに何も言っていない。その辺も何だかなあ、という気がするのですよ。
おっしゃられる通り、ちゃんとした著述ならあの人もいずれそうなる可能性もあるでしょうが、このコメントというやつについては…。そもそもコメントだけを輯めた本というのが可能なのかどうかも不明です。まあ、あの人のについては発見次第記録してはおりますが、他にも色々と。笑いを取るためにわざとやっているのならまだわかりますが、それにしては…。
この話を続けると、掲示板の管理方式とか、果てはなぜ小生が四、五年前の「大解散」の後(あれこれ考えた末)こちら側に草鞋を脱ぐことにしたかといった妙な方向に議論が曲がりかねないので、ここまで。
(強引に別の方向に話題を曲げて)苹さんの書風が、細字についてはご記述で大体想像つきました(汗)。
「二丁目」も了解。小生の知っている地域でいえば、東梅田のあの辺りのようなところですか。そういえば婚約時代に、よく二人であの界隈を歩いていた記憶が…^^;
【15日正午附記】今朝新聞を読んでいたら、あの人例によってまたもや180°違うことを。今度は田母神論文の発表によって生じた一聯の問題が、わが国に奇妙な「構図が存在することを明るみに出した」ことを評価するかのごとき論調になっている(『産経新聞』1月15日「正論」)。勿論それはその通りなのであるが、それにしてもねえ…。
ああ、そういえばそうでした(汗)。でも、あれとはやはり違うのではないですかな。個人のブログに、しかも著者本人のエッセイ的なものとして書かれているのですから、別にあそこにその月の「全仕事」が記されている、または記さなければならないとは誰も思ってはいない筈でしょう(あちらについていえば、「結果」よりもむしろ数年前まで「新年の豫定」として掲げられていたもののうち、いまだに影すら見えてこないものがかなりあることが気にかかる。『わたしの昭和史』のつづき、どうなっているのだろう)。それに対してこちらの方は団体のHPに一見、(著者本人の申告によるのか、それとも管理人——どんな人がしているのか、一向に顔が見えてこない——をしている人が独自に探し出しているのかは知らないけれども)客観めかしてこしらえてある。しかも、掲載基準が見えてこないだけでなく、それが当該団体の活動とどう結びつくのかわからない、つまり個人の言論として行われているものが多数を占めるというのが少し変に思えるのですね(〈機能〉面、あるいは〈傍目の利用価値〉についての疑問)。最近は看ていないのでわかりませんが、つくる会のHPで(あの人の時代を含め)こんなことをしていたことがあったかしら。会員の著作の紹介こそありましたが…。
それに、新聞・雑誌へのコメントの場合、発言者がどこまで「著作権」(と呼んでいいのやら^^;)を主張できるかも厄介になるのでは。特に電話口での応対ですませたりすると、後で言った言わないの争いの元になりかねません。それならば雑誌社に訂正を求めるか、自分の発信媒体を有していればそこで抗議なり釈明なりをすればよいだけのこと。事実あの人も『AERA』の常識ある人ならば誰しも読み違えようのないコメントについては言わずもがなの釈明を行っているのですが、何故かより重大なものをはらんでいる一昨年の『週刊朝日』の方についてはいまだに何も言っていない。その辺も何だかなあ、という気がするのですよ。
おっしゃられる通り、ちゃんとした著述ならあの人もいずれそうなる可能性もあるでしょうが、このコメントというやつについては…。そもそもコメントだけを輯めた本というのが可能なのかどうかも不明です。まあ、あの人のについては発見次第記録してはおりますが、他にも色々と。笑いを取るためにわざとやっているのならまだわかりますが、それにしては…。
この話を続けると、掲示板の管理方式とか、果てはなぜ小生が四、五年前の「大解散」の後(あれこれ考えた末)こちら側に草鞋を脱ぐことにしたかといった妙な方向に議論が曲がりかねないので、ここまで。
(強引に別の方向に話題を曲げて)苹さんの書風が、細字についてはご記述で大体想像つきました(汗)。
「二丁目」も了解。小生の知っている地域でいえば、東梅田のあの辺りのようなところですか。そういえば婚約時代に、よく二人であの界隈を歩いていた記憶が…^^;
【15日正午附記】今朝新聞を読んでいたら、あの人例によってまたもや180°違うことを。今度は田母神論文の発表によって生じた一聯の問題が、わが国に奇妙な「構図が存在することを明るみに出した」ことを評価するかのごとき論調になっている(『産経新聞』1月15日「正論」)。勿論それはその通りなのであるが、それにしてもねえ…。
ツンデレは含羞偽装の陰謀だぁ 苹@泥酔 - 2009/01/13(Tue)02:27 No.7373
>ただ、「新宿二丁目」って何でしょう
念のためググったら、wikiに「世界最大級の××タウン」とあって一安心(…ん?)。文部科学省にも新宿の店にも行った事ないんで不安になりますた。
>寝床にまで持ち込んで玩味
いつも余計な推敲ばかりしています。例えば「手術で取っちまった人の後ろの穴に挿れたり出したり」を短く表現しようと、昨夏の天バカ板で書いた江頭2:50ネタ(「取って入れて出す」)との掛詞にしてみたり…とは別の話か(汗)。
そう云や(と話題を変える)、NHKの朝ドラ「ちりとてちん」に「寝床」って店が出てましたっけ。あの字は確か西郷輝彦の娘の元亭主が書いたと記憶。初めて見た時「ウマイな」と思いますた。赤羽雲庭みたいな品格を感じ、「私には書けないな」と劣等感を覚えた次第。私の細字には王文治や小野鵞堂と似た俗臭があり、趙子昂ほど正整でないし巻菱湖ほど闊達でもない。…萩原秋巌(菱門四天王の一人)の骨気なんか見習いたいなあ。嘗て競書誌で見た「千里鶯啼〜」の秋巌手本には別方向からアプローチした蘇軾の骨気が感じられ、「その手があったか」と大いに参考になりますた。
蘇東坡のベタッとした線質(これは黄山谷や米元章にも共通)を習えば沈周みたいになるし、きわどい角度の魅力を細身の線質に転生させれば文治や秋巌みたいになる(その代わり遂良の懐抱は失われるけど)。その両方のアプローチが成功すると殿村藍田みたいになったりして(松井如流『條幅扁額の研究』(二玄社)P.46〜47の図版参照)。
>あそこの掲載基準がどうなっているのか
再生機構のあれは全部じゃなかったのか…(吃驚)。でも、それを云ったら西尾先生のだって全部が「日録」の「今月の仕事」に載ってる訳じゃないし。奥様ブログで知った『週刊朝日』は西尾記事だけ立ち読みしたけど、内容面では他の本に載せる予定の草稿になるケースが多そうだからなあ。八木先生だって、西尾先生と同じくらい出版の機会に恵まれれば自ずとそうなる筈。或いは西尾先生の三島本みたいに、何かの事情で暫く旧稿を寝かせて置く場合も考えられなくはない。
「陰謀論への凝集」は大抵、他律的に翻弄されるのが本来の在り方なんじゃないかと思ってます。当事者本人の意思はどうでもよい。傍目の利用価値があればよい。だから皇室の一件なんかも考えれば考えるほど全部が陰謀臭く見えてくるし、その中には岡目八目もあってよい。いや、あらねばならない。そうした正鵠が陰謀の渦から浮かび上がるには、そこにもやはり「広義の陰謀」が必要になると思うのです。普通はこれを戦略とか戦術とか云って小分けしますが、結局どう転んでも陰謀は陰謀。そう捉えるなら「陰謀やめろ」は「社会生活やめろ」と大差なく、或いは「隠遁願望の産物から成る自己矛盾の姿じゃなかろーか」との自己憐憫に時々囚われたくなったりもする訳で…(汗)。
念のためググったら、wikiに「世界最大級の××タウン」とあって一安心(…ん?)。文部科学省にも新宿の店にも行った事ないんで不安になりますた。
>寝床にまで持ち込んで玩味
いつも余計な推敲ばかりしています。例えば「手術で取っちまった人の後ろの穴に挿れたり出したり」を短く表現しようと、昨夏の天バカ板で書いた江頭2:50ネタ(「取って入れて出す」)との掛詞にしてみたり…とは別の話か(汗)。
そう云や(と話題を変える)、NHKの朝ドラ「ちりとてちん」に「寝床」って店が出てましたっけ。あの字は確か西郷輝彦の娘の元亭主が書いたと記憶。初めて見た時「ウマイな」と思いますた。赤羽雲庭みたいな品格を感じ、「私には書けないな」と劣等感を覚えた次第。私の細字には王文治や小野鵞堂と似た俗臭があり、趙子昂ほど正整でないし巻菱湖ほど闊達でもない。…萩原秋巌(菱門四天王の一人)の骨気なんか見習いたいなあ。嘗て競書誌で見た「千里鶯啼〜」の秋巌手本には別方向からアプローチした蘇軾の骨気が感じられ、「その手があったか」と大いに参考になりますた。
蘇東坡のベタッとした線質(これは黄山谷や米元章にも共通)を習えば沈周みたいになるし、きわどい角度の魅力を細身の線質に転生させれば文治や秋巌みたいになる(その代わり遂良の懐抱は失われるけど)。その両方のアプローチが成功すると殿村藍田みたいになったりして(松井如流『條幅扁額の研究』(二玄社)P.46〜47の図版参照)。
>あそこの掲載基準がどうなっているのか
再生機構のあれは全部じゃなかったのか…(吃驚)。でも、それを云ったら西尾先生のだって全部が「日録」の「今月の仕事」に載ってる訳じゃないし。奥様ブログで知った『週刊朝日』は西尾記事だけ立ち読みしたけど、内容面では他の本に載せる予定の草稿になるケースが多そうだからなあ。八木先生だって、西尾先生と同じくらい出版の機会に恵まれれば自ずとそうなる筈。或いは西尾先生の三島本みたいに、何かの事情で暫く旧稿を寝かせて置く場合も考えられなくはない。
「陰謀論への凝集」は大抵、他律的に翻弄されるのが本来の在り方なんじゃないかと思ってます。当事者本人の意思はどうでもよい。傍目の利用価値があればよい。だから皇室の一件なんかも考えれば考えるほど全部が陰謀臭く見えてくるし、その中には岡目八目もあってよい。いや、あらねばならない。そうした正鵠が陰謀の渦から浮かび上がるには、そこにもやはり「広義の陰謀」が必要になると思うのです。普通はこれを戦略とか戦術とか云って小分けしますが、結局どう転んでも陰謀は陰謀。そう捉えるなら「陰謀やめろ」は「社会生活やめろ」と大差なく、或いは「隠遁願望の産物から成る自己矛盾の姿じゃなかろーか」との自己憐憫に時々囚われたくなったりもする訳で…(汗)。
シャケンベ 切り身と生 荒間 宗太郎 - 2009/01/12(Mon)14:00 No.7371
珊瑚破壊KY事件で有名な赤ピーグループでまたまた捏造が発覚したようだ。
テレビ朝日系列10日夜に放送の「情報整理バラエティー ウソバスター!」の中で紹介されたインターネット上のブログが、番組が撮影用に自作した(つまり実在していない)ものだったことが分かった。「人が本当だと信じていることの裏にある『ウソ』を暴く」という企画で、インターネット上の情報の真偽を取り上げる趣旨だった。その中で、ネット上の根拠のない「ウソ」情報の例として、「サケとシャケの呼び名は加工前と加工後で違っている」などとする六つのブログの記載を取り上げた。
ところが、テレビ朝日広報部の話 実際にあったブログなどから撮影許可が得られず、番組で撮影用に同じ趣旨のブログを作成した。
http://www.asahi.com/national/update/0111/TKY200901110158.html
「シャケンベ」として江戸時代からある呼称の方を無視して、明治以降の学会が勝手に作った「サケ科」の方を一方的に取り上げるという手荒さには道民として苦笑を禁じ得ない。
で、早速それを追求するサイトが作られていた。
http://www19.atwiki.jp/usobuster/
テレビ朝日 「情報整理バラエティー ウソバスター! 」で仕込みブログ発覚まとめ
■結論
2009年1月10日にテレビ朝日で放送された
「情報整理バラエティー ウソバスター! 」は、
「インターネットの情報=嘘」と国民を洗脳するために
テレビ朝日が仕込みブログを自作した捏造番組だった。
■捏造した目的
説1: 日本国民に見られては困る暴露サイトが山ほどあるから
説2: 解散総選挙対策(偏向報道を暴かれたくないから)
説3: テレビ離れに歯止めをかけたいから
説4: 上記の全部
■テレビ朝日の言い訳
「引用したいサイトから断られたんです」 ←断る理由が無い
「誤解を与える表現でした」 ←毎回同じ言い訳
「捏造ではありません」 ←どう見ても捏造
「再発防止に努めます」 ←再発しすぎ。もはや更正は不可能
※これらは全て、捏造が発覚したときに使う常套文句
■テレビ朝日がこれから取ると予想される行動
(1)著作権侵害を盾に、都合の悪い映像・画像の削除依頼を出す。
(2)「誹謗中傷だ!」「営業妨害だ!」と脅しをかける
(3)問題を大きく報道しないように圧力。ガス抜き報道で沈静化を図る
※これらは全て、不正が発覚したときに使う常套工作
珊瑚をわざわざKYとナイフで傷をつけて「珊瑚の自然を守ろう」という啓蒙記事を捏造した「捏造朝日」のグループ会社らしい態度に「やはり民主党に勝たせてはいけない」と改めて思った。
テレビ朝日系列10日夜に放送の「情報整理バラエティー ウソバスター!」の中で紹介されたインターネット上のブログが、番組が撮影用に自作した(つまり実在していない)ものだったことが分かった。「人が本当だと信じていることの裏にある『ウソ』を暴く」という企画で、インターネット上の情報の真偽を取り上げる趣旨だった。その中で、ネット上の根拠のない「ウソ」情報の例として、「サケとシャケの呼び名は加工前と加工後で違っている」などとする六つのブログの記載を取り上げた。
ところが、テレビ朝日広報部の話 実際にあったブログなどから撮影許可が得られず、番組で撮影用に同じ趣旨のブログを作成した。
http://www.asahi.com/national/update/0111/TKY200901110158.html
「シャケンベ」として江戸時代からある呼称の方を無視して、明治以降の学会が勝手に作った「サケ科」の方を一方的に取り上げるという手荒さには道民として苦笑を禁じ得ない。
で、早速それを追求するサイトが作られていた。
http://www19.atwiki.jp/usobuster/
テレビ朝日 「情報整理バラエティー ウソバスター! 」で仕込みブログ発覚まとめ
■結論
2009年1月10日にテレビ朝日で放送された
「情報整理バラエティー ウソバスター! 」は、
「インターネットの情報=嘘」と国民を洗脳するために
テレビ朝日が仕込みブログを自作した捏造番組だった。
■捏造した目的
説1: 日本国民に見られては困る暴露サイトが山ほどあるから
説2: 解散総選挙対策(偏向報道を暴かれたくないから)
説3: テレビ離れに歯止めをかけたいから
説4: 上記の全部
■テレビ朝日の言い訳
「引用したいサイトから断られたんです」 ←断る理由が無い
「誤解を与える表現でした」 ←毎回同じ言い訳
「捏造ではありません」 ←どう見ても捏造
「再発防止に努めます」 ←再発しすぎ。もはや更正は不可能
※これらは全て、捏造が発覚したときに使う常套文句
■テレビ朝日がこれから取ると予想される行動
(1)著作権侵害を盾に、都合の悪い映像・画像の削除依頼を出す。
(2)「誹謗中傷だ!」「営業妨害だ!」と脅しをかける
(3)問題を大きく報道しないように圧力。ガス抜き報道で沈静化を図る
※これらは全て、不正が発覚したときに使う常套工作
珊瑚をわざわざKYとナイフで傷をつけて「珊瑚の自然を守ろう」という啓蒙記事を捏造した「捏造朝日」のグループ会社らしい態度に「やはり民主党に勝たせてはいけない」と改めて思った。
レスのレス >7367 キルドンム - 2009/01/12(Mon)12:42 No.7370
昨晩、書き残したことが一つありました。王夢楼の書風が違うのではなく、字の大小の差によるものでしたか(汗)。『図説』の解説に蘇東坡がどうとか書いてありましたが——事実、蘇書について論じているものだけれども——それとも少し違うように感じました。一方、『法書ガイド』の方は楮遂良っぽく見えていたのです。まあ、あくまで素人の勝手な印象なので、苹さんの眼の方が確かなのでしょうね(なお台湾で出た『王夢楼研究』という本を所持していた筈だが、探しても見当たりませんでした)。
つづいてNo.7367に移ります。いやあ、それにしても苹さんの文章はいつもながら素晴らしいなあ。寝床にまで持ち込んで玩味していました^^
>私がNo.7356で書いたのはP.43についてでした。キルドンム様の表現で云えば「書いた内容ではなく発表したこと自体がけしからん」の件ですね。
あっ、そちらの方でしたか。失礼しました。てっきり…(汗)。こちらでも録画していたやつをもう一度見返しましたが、先に姜さんの発言で「マトモ」だと感じたと述べたのは、「愚かな反日」という表現もさることながら、言論の自由の範囲内であるということ、そして今なお記憶に新しい「栗栖発言」との違いについて指摘した部分なのです。ただその後が宜しくない。ヒトラーを例に挙げたのもいただけないし、何よりも畏き辺りを持ち出して、相手の反論を圧しようとしている様子すらうかがえました。見ようによっては、姜さんが「君側の奸」っぽく映ったりして(笑)。こういうところ、確かにあの人と類似しているようにも思われます。もっとも、姜さんは内容にも多少は踏み込んだ発言をしているのだから、まだましでしょう。あの人の方は、おそらく内容を自力で検証する力すら…(ポソッ)。
仰っておられるように、ご両人がはたして気付いているのかどうかは知りませんが、あれでは言論が言論として機能しなくなることにつながりかねないわけです。そこで思い当たるのがあの人が最近よく言っている「保守の冬」という言葉。近頃、中には変な草も混じるようになったとはいえ/混じるからこそ、所謂〈保守系〉の言論は総体的には別に衰えてはいない筈だし、ましてそのような事態になっているともまったく思えないのですが、何がおかしいのかと言えば、政局面における〈保守〉と呼ばれる勢力がやや伸び悩んでいることを以て、ただちに思想・言論界におけるそれに結びつけようとしていること(では、池田・佐藤政権期のような〈保守〉党の勢力が比較的安定していた時代は、〈保守の春〉と呼べるのだろうか?)。本物の言論人ならこのような時期にこそ真価を発揮すべきでしょう。むしろ、「袞龍の袖に〜」の人たちにとっての〈冬〉と言い直すべきかと(笑)。
最後にひとつだけ。No.7356で、あの人の動向がナントカ再生機構の掲載誌コーナーでわかるとのことでしたが、あそこの掲載基準がどうなっているのか、理解できないのですね。論考を載せるだけかと思うと、週刊誌等へのコメントも掲げてある。ところがすべてのコメントを出すかと思えばそうではなく、例えば『週刊セブン』のはあっても『週刊朝日』2007年9月28日号や『週刊ポスト』2008年12月19日号のそれは影も形も見えなかったりする。流石に後で「うっかり本音をしゃべりすぎた」とでも考えてその存在を「抹消」したのではないかとの疑いが残りますが、これもまた「陰謀論への凝集」となるのかしら。
つづいてNo.7367に移ります。いやあ、それにしても苹さんの文章はいつもながら素晴らしいなあ。寝床にまで持ち込んで玩味していました^^
>私がNo.7356で書いたのはP.43についてでした。キルドンム様の表現で云えば「書いた内容ではなく発表したこと自体がけしからん」の件ですね。
あっ、そちらの方でしたか。失礼しました。てっきり…(汗)。こちらでも録画していたやつをもう一度見返しましたが、先に姜さんの発言で「マトモ」だと感じたと述べたのは、「愚かな反日」という表現もさることながら、言論の自由の範囲内であるということ、そして今なお記憶に新しい「栗栖発言」との違いについて指摘した部分なのです。ただその後が宜しくない。ヒトラーを例に挙げたのもいただけないし、何よりも畏き辺りを持ち出して、相手の反論を圧しようとしている様子すらうかがえました。見ようによっては、姜さんが「君側の奸」っぽく映ったりして(笑)。こういうところ、確かにあの人と類似しているようにも思われます。もっとも、姜さんは内容にも多少は踏み込んだ発言をしているのだから、まだましでしょう。あの人の方は、おそらく内容を自力で検証する力すら…(ポソッ)。
仰っておられるように、ご両人がはたして気付いているのかどうかは知りませんが、あれでは言論が言論として機能しなくなることにつながりかねないわけです。そこで思い当たるのがあの人が最近よく言っている「保守の冬」という言葉。近頃、中には変な草も混じるようになったとはいえ/混じるからこそ、所謂〈保守系〉の言論は総体的には別に衰えてはいない筈だし、ましてそのような事態になっているともまったく思えないのですが、何がおかしいのかと言えば、政局面における〈保守〉と呼ばれる勢力がやや伸び悩んでいることを以て、ただちに思想・言論界におけるそれに結びつけようとしていること(では、池田・佐藤政権期のような〈保守〉党の勢力が比較的安定していた時代は、〈保守の春〉と呼べるのだろうか?)。本物の言論人ならこのような時期にこそ真価を発揮すべきでしょう。むしろ、「袞龍の袖に〜」の人たちにとっての〈冬〉と言い直すべきかと(笑)。
最後にひとつだけ。No.7356で、あの人の動向がナントカ再生機構の掲載誌コーナーでわかるとのことでしたが、あそこの掲載基準がどうなっているのか、理解できないのですね。論考を載せるだけかと思うと、週刊誌等へのコメントも掲げてある。ところがすべてのコメントを出すかと思えばそうではなく、例えば『週刊セブン』のはあっても『週刊朝日』2007年9月28日号や『週刊ポスト』2008年12月19日号のそれは影も形も見えなかったりする。流石に後で「うっかり本音をしゃべりすぎた」とでも考えてその存在を「抹消」したのではないかとの疑いが残りますが、これもまた「陰謀論への凝集」となるのかしら。
レスのレス >7366 キルドンム - 2009/01/12(Mon)00:14 No.7369
家庭内の心配事(竹林参照)その他色々あって、遅くなってしまいましたが、まずはブログのご紹介感謝。やはり、携帯で撮った写真でははっきり読めなかったのでてっきり、風化の極に達したものと…(汗)。ご引用の説明、実は拝殿右の御触板(正式な名称は知らない)に書いてあって、それを読んで「えっ、どこ?」(嬉しそうな口調で読むこと)と見回して発見した次第。楼下正面の「旭宮」の方は誰の書か説明はなかったけれど、どこかのお公家さんみたいですね。劉雲臺ってどこかで聞いたことのある名だと思ったら、長崎の清商でしたか。うーむ、となると金毘羅さんのために夢楼が直接書いた、という可能性は遠ざかってくるような…。多分、あちらの道観に掲げられていたのが盗難に遭い流出して、たまたま劉氏の手に入り高値で売ろうと日本に持ち込まれた、なんて妄想めいたストーリーがたちどころに湧いてくる(笑)。
『名品叢刊』の索引は別売りでしたか(汗)。『叢刊』は古本屋でバラで時々買っています。『法書ガイド』も少し持っています。そういえば北京でも『法書ガイド』中国版を売っていました。海賊版では…ないらしい。
最初の方の譬え話は、はなはだ穏やかならざるものを感じさせるのでノーコメント^^; ただ、「新宿二丁目」って何でしょう。日本書道協会? 書藝院?
No.7367に対しては稿をあらためて。
『名品叢刊』の索引は別売りでしたか(汗)。『叢刊』は古本屋でバラで時々買っています。『法書ガイド』も少し持っています。そういえば北京でも『法書ガイド』中国版を売っていました。海賊版では…ないらしい。
最初の方の譬え話は、はなはだ穏やかならざるものを感じさせるのでノーコメント^^; ただ、「新宿二丁目」って何でしょう。日本書道協会? 書藝院?
No.7367に対しては稿をあらためて。
北の狼ファンクラブ閉鎖問題に関して Emmanuel Chanel - 2009/01/07(Wed)20:57 No.7368
あけましておめでとうございます.
北の狼さんの反応を待っていたのと,文章をまとめられなかったので1ヶ月半も経ってしまいました.
1.
相談の過程でメアドを荒間さんともう一人の方に教えてしまった事に関して,一人で判断しないで相談するのは考えられる方法だと今でも信じておりますが(北の狼さん自身から裏だから個人的だからと勝手に教えて良いのか疑問なメアドを貰ったという人がいるので,それに比べれば私のこれは報告しただけ律儀となってしまいますが…),そうしない方法があったのはその通りです.まず私がすみませんと言った,掲示板で問い合わせる方法,後,北の狼さんが指摘した勤務先メアドに問い合わせる方法,その二つです.後者は,前回送った時も私用メアドが分からず仕方なく送ったくらいで,勤務先への私用メールになるので避けたのではありますが.その点はすみません.これまでも私に怒っていてわざわざ返信しなかったなどとは想像だにしませんでした.
2.
キルドンムさんの実名入りメールの転送に関しては,竹林問答塾でのキルドンムさんの証言から,細かくいきちがっていた部分はあるにせよ私の言っている事は本当だったと理解されたと思います.ただ,確かに注釈をつけなければ,無断で個人情報を転送したと誤解されても仕方がないので,その点はすみません.
3.
北の狼さんが,仕事などの個人情報を載せた事を怒っているなどとは全く予想がつきませんでした.特に,これまでそのようなクレームを裏掲示板でさえ貰っていなかったので,驚いたくらいです.私自身は,前に掲示板に公開していた情報なので問題ないと受け取っていたので,ある人に,こういうつなぎ合わせ自体に付加価値が出てくるので許可を取るべきものだと意見されてやっと気づいた次第です.(後述のファイルからは削除しました.)
「便衣隊」考編の,メールをだしにしてと言われている部分の件は,申し訳ありません.北の狼さんがメールで言ったという部分を削除すれば,私自身の言葉で語れる話だという点は意味さえご理解頂けなかったようですが,いずれにしろ,このような事は書くべきではありませんでした.(後述のファイルから,メールをだしにした部分は修正してあります.)
4.
私は,今でも,論考をネット上に上げておく価値があると信じていますし,北の狼さんが版権引き上げを撤回して下さるのでしたらいつでもサイトを復活出来ます.
このような事になってしまったので,無理に撤回しろとは言いません.もし北の狼さんがご自身の手で論考集を復活させたいとか,あるいは,他の人の手に委ねたいと仰るのでしたら,こちらで保存しているコンテンツのファイルは送ります.(旧版(KFC1)・未完成の新装版完全本分(KFC2)・その中間の最終版(KFC1pre2),3通りあります.)
ウェブ・デザインに関する私の著作権は放棄しませんが,利用・改変は自由です.(FITOMARO さん作成の旧版のロゴと壁紙に関しては,この件で特別に許可を取っておりません.)
北の狼さんの反応を待っていたのと,文章をまとめられなかったので1ヶ月半も経ってしまいました.
1.
相談の過程でメアドを荒間さんともう一人の方に教えてしまった事に関して,一人で判断しないで相談するのは考えられる方法だと今でも信じておりますが(北の狼さん自身から裏だから個人的だからと勝手に教えて良いのか疑問なメアドを貰ったという人がいるので,それに比べれば私のこれは報告しただけ律儀となってしまいますが…),そうしない方法があったのはその通りです.まず私がすみませんと言った,掲示板で問い合わせる方法,後,北の狼さんが指摘した勤務先メアドに問い合わせる方法,その二つです.後者は,前回送った時も私用メアドが分からず仕方なく送ったくらいで,勤務先への私用メールになるので避けたのではありますが.その点はすみません.これまでも私に怒っていてわざわざ返信しなかったなどとは想像だにしませんでした.
2.
キルドンムさんの実名入りメールの転送に関しては,竹林問答塾でのキルドンムさんの証言から,細かくいきちがっていた部分はあるにせよ私の言っている事は本当だったと理解されたと思います.ただ,確かに注釈をつけなければ,無断で個人情報を転送したと誤解されても仕方がないので,その点はすみません.
3.
北の狼さんが,仕事などの個人情報を載せた事を怒っているなどとは全く予想がつきませんでした.特に,これまでそのようなクレームを裏掲示板でさえ貰っていなかったので,驚いたくらいです.私自身は,前に掲示板に公開していた情報なので問題ないと受け取っていたので,ある人に,こういうつなぎ合わせ自体に付加価値が出てくるので許可を取るべきものだと意見されてやっと気づいた次第です.(後述のファイルからは削除しました.)
「便衣隊」考編の,メールをだしにしてと言われている部分の件は,申し訳ありません.北の狼さんがメールで言ったという部分を削除すれば,私自身の言葉で語れる話だという点は意味さえご理解頂けなかったようですが,いずれにしろ,このような事は書くべきではありませんでした.(後述のファイルから,メールをだしにした部分は修正してあります.)
4.
私は,今でも,論考をネット上に上げておく価値があると信じていますし,北の狼さんが版権引き上げを撤回して下さるのでしたらいつでもサイトを復活出来ます.
このような事になってしまったので,無理に撤回しろとは言いません.もし北の狼さんがご自身の手で論考集を復活させたいとか,あるいは,他の人の手に委ねたいと仰るのでしたら,こちらで保存しているコンテンツのファイルは送ります.(旧版(KFC1)・未完成の新装版完全本分(KFC2)・その中間の最終版(KFC1pre2),3通りあります.)
ウェブ・デザインに関する私の著作権は放棄しませんが,利用・改変は自由です.(FITOMARO さん作成の旧版のロゴと壁紙に関しては,この件で特別に許可を取っておりません.)
レス(res/No.7365) 苹@泥酔 - 2009/01/07(Wed)02:58 No.7367
続けます。〜姜先生が「自らの言行について奇妙な釈明をして逃げ回った揚句、正直に公表した人たちに対して逆ギレして批難を加え」た例は知りませんが、八木先生に関する「防衛省の問い合わせに対して何故拒否したか」の方も私はピンと来てなかったりして。防衛省は「氏名を黒塗りにして国会に提出していた」とある(P.42)。それとは別の問い合わせが何かあったのかしら。
私がNo.7356で書いたのはP.43についてでした。キルドンム様の表現で云えば「書いた内容ではなく発表したこと自体がけしからん」の件ですね。そんでもって私が姜先生との類似を感じたのは、八木先生が「講師選定の見直し」を指摘した箇所なんですね。今、偶々まだ上書き消去してなかった「朝生」録画を見ながら書いてますけれども、その最初の西尾発言の直前で姜先生は「愚かな反日をやっている様な国々を勢いづかせる事でしょ」と云っている。つまり外国の反日と同列に、国内の反日が浮かび上がる構図になるって事です。国内では「講師選定の見直し」になるし、国外では日米関係の悪化やら、日本が常任理事国になる事への反対運動などに連なる可能性がある。そんな反応が出てくるから、田母神論文の「発表」は都合が悪い、となる。
両先生はレスポンスに対するディフェンスを問うよりも、先ずレスポンスの側から見て「レスポンスが出た原因」の方を難じている。そこからは「内容と発表との分裂」が表面化する。「発表なき内容」は衆知に至らないし、「内容なき発表」は衆知をすり抜ける。衆知という焦点を衝いてこそ内容は「発表」という行為を活性化できるのに、レスポンスを恐れて発表しないのでは、それこそが陰謀論の範疇に取り込まれてしまう事になりゆくのではないか。陰謀は公表されないのが必要条件でしょ。もし内容に問題がないのであれば、内容に問題があるとする立場よりも陰謀論への凝集傾向は遙かに高い事になる筈(姜先生の場合は「陰謀論を論難する陰謀」になるのを予め防がざるを得なくなる?)。
それが「書いた内容ではなく発表したこと自体がけしからん」の機能面における正体だと私は思ってます。機能は論者と批判者を公平に裁くかのごとくして同時に捨象し、また捨象する事によって機能が機能たる所以を保つ筈ですから。ハッキリ云えば、機能自体に意見は必要ありません。意見が出て初めて機能するものから意見を奪えば、機能もまた不全状態となって眠りこける筈だからです。しかし条件側がいかに眠ろうとも叩き起こされようとも、機能そのものが条件の在り方に対して反応し続けている事に変わりはない。条件が静的なら眠るかのごとく反応し、条件が動的なら叩き起こされるかのごとく反応するでしょう。
そして〜もしも誰かが「意見から機能へと転生しようとしている」のなら、その人は「自身の言動に対する責任感」からの脱却を踏まえた超越に向かっている事になるのでしょう。機能はあらゆる意見の彼岸にあり、なおかつあらゆる意見を統べようとする。だから「機能の意見」はそもそも「あり得ない」がゆえに信用されなくなる。「機能への信頼」が「意見への信頼」と混同された時、混同した者にとっての信用はあられもなく〜そして痕跡なきまま崩壊プロセスを際限なく自ら剔り続ける事でしょう。
私がNo.7356で書いたのはP.43についてでした。キルドンム様の表現で云えば「書いた内容ではなく発表したこと自体がけしからん」の件ですね。そんでもって私が姜先生との類似を感じたのは、八木先生が「講師選定の見直し」を指摘した箇所なんですね。今、偶々まだ上書き消去してなかった「朝生」録画を見ながら書いてますけれども、その最初の西尾発言の直前で姜先生は「愚かな反日をやっている様な国々を勢いづかせる事でしょ」と云っている。つまり外国の反日と同列に、国内の反日が浮かび上がる構図になるって事です。国内では「講師選定の見直し」になるし、国外では日米関係の悪化やら、日本が常任理事国になる事への反対運動などに連なる可能性がある。そんな反応が出てくるから、田母神論文の「発表」は都合が悪い、となる。
両先生はレスポンスに対するディフェンスを問うよりも、先ずレスポンスの側から見て「レスポンスが出た原因」の方を難じている。そこからは「内容と発表との分裂」が表面化する。「発表なき内容」は衆知に至らないし、「内容なき発表」は衆知をすり抜ける。衆知という焦点を衝いてこそ内容は「発表」という行為を活性化できるのに、レスポンスを恐れて発表しないのでは、それこそが陰謀論の範疇に取り込まれてしまう事になりゆくのではないか。陰謀は公表されないのが必要条件でしょ。もし内容に問題がないのであれば、内容に問題があるとする立場よりも陰謀論への凝集傾向は遙かに高い事になる筈(姜先生の場合は「陰謀論を論難する陰謀」になるのを予め防がざるを得なくなる?)。
それが「書いた内容ではなく発表したこと自体がけしからん」の機能面における正体だと私は思ってます。機能は論者と批判者を公平に裁くかのごとくして同時に捨象し、また捨象する事によって機能が機能たる所以を保つ筈ですから。ハッキリ云えば、機能自体に意見は必要ありません。意見が出て初めて機能するものから意見を奪えば、機能もまた不全状態となって眠りこける筈だからです。しかし条件側がいかに眠ろうとも叩き起こされようとも、機能そのものが条件の在り方に対して反応し続けている事に変わりはない。条件が静的なら眠るかのごとく反応し、条件が動的なら叩き起こされるかのごとく反応するでしょう。
そして〜もしも誰かが「意見から機能へと転生しようとしている」のなら、その人は「自身の言動に対する責任感」からの脱却を踏まえた超越に向かっている事になるのでしょう。機能はあらゆる意見の彼岸にあり、なおかつあらゆる意見を統べようとする。だから「機能の意見」はそもそも「あり得ない」がゆえに信用されなくなる。「機能への信頼」が「意見への信頼」と混同された時、混同した者にとっての信用はあられもなく〜そして痕跡なきまま崩壊プロセスを際限なく自ら剔り続ける事でしょう。
レス(res・less・les) 苹@泥酔 - 2009/01/07(Wed)00:26 No.7366
>そろそろ発想の転換と新しい書道史観の確立とを
従来の書道史観が間違ってる訳ではない筈だけれど、半世紀以上に亘る部分的な切り捨ての効果はハッキリと出てますなあ。
喩えて云うなら国語ってデッカイ家があって、そこから追い出されたホームレスが書道だったりして(苦笑)。国語史観から切り捨てられた書道史観の側から見れば、既に確立されてる自前の領分をどう弄っても国語側とは無縁のまま。とどのつまりは自慰にしかならず、伴侶との出会いなき二次元世界の住人と成り果てるのみ。国語家(「か」でなく「け」と読んでちょ)や美術家に家付き娘が居るなら婿養子に入りたいところだけど、むさ苦しい跡取り息子ばかりでは話にならぬ(箱入り娘は世間に知られぬ様に隠してしまえ?)。そこでGHQ占領時代の入木居士はやむにやまれず性転換、新宿二丁目の書道娘となってバカ息子との逢瀬を重ねるのであった。
…つまりバカ息子が本家のある霞ヶ関三丁目から新宿二丁目へと出向く形ね。本家でふんぞり返る反日オヤジにバレたら勘当されるのがオチだから、結局そうするしかない。書道娘が切り捨てた××は二度と屹立する事なく、また中途半端な人々は形成術やってないから後ろを差し出すしかない(所詮は出口なの…って何の話ぢゃ)。でも「取って挿れて出す」ニーズ自体がないから、大抵は表面を愛撫してお仕舞い。やがて本家の反日オヤジと対決する事なく半世紀が過ぎ、賞味期限の切れた娘にゃさすがの変態バカ息子も遂には寄りつかなくなった…てな具合になるのかな。
…閑話休題(汗)。
言語芸術の枠組みなら碑学派優位でも構わないのでしょうが、基本と専門を繋ぐ日常性の一本道は帖学側ゆえ、これが言語の枠組みから外れた後は碑学のビジュアルが脳内博物館に残る。…非日常を求めるなら碑学はインパクト充分。これはこれでニーズにぴったり、合い言葉は差詰め「王羲之なんかぶっ飛ばせ」になるのかな(紅白歌合戦の裏番組みたいなもんだ)。
ちょいと家宅捜索したら昭和六十年の二玄社出版目録も残ってますた(笑)。それによると名品叢刊の全巻セット価格は\279,000で、総索引が\1,500の別売り。絶版の十数年後に復刊された合訂版は分売不可ゆえ、私には買えません。
呉炳旧蔵定武蘭亭の王文治跋は、法書選の姉妹版(?)で出てる『中国法書ガイド』の方(\700)にも小さい写真が載ってます。私には図説に載ってる条幅の書風と全く同じに見えるけどなあ(のけぞり方の癖とか)。ただし筆の違いによる変化はありますけど(浮鵞のハネる部分の筆鋒調整とか)。大字は少し書きにくそうで、幾分にぶい感じになるみたい。たぶん「写奏」系統の紫毫で書く細字が本領なのでしょう。
ところで、検索したらこんなのが(↓)。
http://blogs.yahoo.co.jp/sangsyu/9455099.html
彫りの入った年代物は、風化すると誰の字だか分からなくなりがち…(ボソッ)。ググったところ旭社は文治が歿してから三十五年後の建立との事。仕上がるまでに約四十年かかったのなら、年代の整合性はぎりぎりセーフの最晩年ってとこか。下記サイトには「楼上に掲揚されたは、清国の翰林院侍讀探花及第王文治の筆で、同国の劉雲臺の献納です」と書いてある。
http://www.konpira.or.jp/about/map/guide/index.html
話は前後しますが、榮豊齋のにはそれぞれ写真が載ってました。どれも確度の高いものばかりに見えたけど、王文治のが出たらいくらするのかなあ。尤も中国では美術品市場が賑わってた様だから(昨年のNHK番組で見た)、出戻ったのも相当ありそうな気が…。
(追記)
…と書いて投稿しようとしたらNo.7365が新着。上記No.7364宛レスに続けて長くなり過ぎてもアレなんで、本稿はこの辺で。
従来の書道史観が間違ってる訳ではない筈だけれど、半世紀以上に亘る部分的な切り捨ての効果はハッキリと出てますなあ。
喩えて云うなら国語ってデッカイ家があって、そこから追い出されたホームレスが書道だったりして(苦笑)。国語史観から切り捨てられた書道史観の側から見れば、既に確立されてる自前の領分をどう弄っても国語側とは無縁のまま。とどのつまりは自慰にしかならず、伴侶との出会いなき二次元世界の住人と成り果てるのみ。国語家(「か」でなく「け」と読んでちょ)や美術家に家付き娘が居るなら婿養子に入りたいところだけど、むさ苦しい跡取り息子ばかりでは話にならぬ(箱入り娘は世間に知られぬ様に隠してしまえ?)。そこでGHQ占領時代の入木居士はやむにやまれず性転換、新宿二丁目の書道娘となってバカ息子との逢瀬を重ねるのであった。
…つまりバカ息子が本家のある霞ヶ関三丁目から新宿二丁目へと出向く形ね。本家でふんぞり返る反日オヤジにバレたら勘当されるのがオチだから、結局そうするしかない。書道娘が切り捨てた××は二度と屹立する事なく、また中途半端な人々は形成術やってないから後ろを差し出すしかない(所詮は出口なの…って何の話ぢゃ)。でも「取って挿れて出す」ニーズ自体がないから、大抵は表面を愛撫してお仕舞い。やがて本家の反日オヤジと対決する事なく半世紀が過ぎ、賞味期限の切れた娘にゃさすがの変態バカ息子も遂には寄りつかなくなった…てな具合になるのかな。
…閑話休題(汗)。
言語芸術の枠組みなら碑学派優位でも構わないのでしょうが、基本と専門を繋ぐ日常性の一本道は帖学側ゆえ、これが言語の枠組みから外れた後は碑学のビジュアルが脳内博物館に残る。…非日常を求めるなら碑学はインパクト充分。これはこれでニーズにぴったり、合い言葉は差詰め「王羲之なんかぶっ飛ばせ」になるのかな(紅白歌合戦の裏番組みたいなもんだ)。
ちょいと家宅捜索したら昭和六十年の二玄社出版目録も残ってますた(笑)。それによると名品叢刊の全巻セット価格は\279,000で、総索引が\1,500の別売り。絶版の十数年後に復刊された合訂版は分売不可ゆえ、私には買えません。
呉炳旧蔵定武蘭亭の王文治跋は、法書選の姉妹版(?)で出てる『中国法書ガイド』の方(\700)にも小さい写真が載ってます。私には図説に載ってる条幅の書風と全く同じに見えるけどなあ(のけぞり方の癖とか)。ただし筆の違いによる変化はありますけど(浮鵞のハネる部分の筆鋒調整とか)。大字は少し書きにくそうで、幾分にぶい感じになるみたい。たぶん「写奏」系統の紫毫で書く細字が本領なのでしょう。
ところで、検索したらこんなのが(↓)。
http://blogs.yahoo.co.jp/sangsyu/9455099.html
彫りの入った年代物は、風化すると誰の字だか分からなくなりがち…(ボソッ)。ググったところ旭社は文治が歿してから三十五年後の建立との事。仕上がるまでに約四十年かかったのなら、年代の整合性はぎりぎりセーフの最晩年ってとこか。下記サイトには「楼上に掲揚されたは、清国の翰林院侍讀探花及第王文治の筆で、同国の劉雲臺の献納です」と書いてある。
http://www.konpira.or.jp/about/map/guide/index.html
話は前後しますが、榮豊齋のにはそれぞれ写真が載ってました。どれも確度の高いものばかりに見えたけど、王文治のが出たらいくらするのかなあ。尤も中国では美術品市場が賑わってた様だから(昨年のNHK番組で見た)、出戻ったのも相当ありそうな気が…。
(追記)
…と書いて投稿しようとしたらNo.7365が新着。上記No.7364宛レスに続けて長くなり過ぎてもアレなんで、本稿はこの辺で。
『正論』二月号を読みて キルドンム - 2009/01/07(Wed)00:09 No.7365
先に「〈あのこと〉についてはここでは一切言及しない」とみずから宣言しましたし、またそのつもりではありますが、「何が彼女をさうさせたか」——今そのことに興味があります——まで追究しだすと、以下の叙述で無意識にでもフッと顔をのぞかせてしまうかも知れません。とりあえずここでは当該号で書かれていることの範囲内だけご返事します^^;
328-329頁の「書評」を何の気なしに読み進めていて、最後の評者名に至って驚愕した。「あっ、マトモなことを言っている?!」と思ったからである。慌てて読みかえと、マトモなのも道理、単に取り上げられた対談本の内容要約に過ぎなく(それに小生が賛成するかどうかは「マトモ」ということとは別)、「評」と称するに足りる箇所は末尾の「興味の尽きない指摘に富んでいる」くらいなものだった。これでは書評どころか、高校生の読書感想文の域にも達しないのであるが、それは別としても、「当事(ママ)の満州で抗日気分が高まるのは必然」とか、「日本軍による農村の掠奪」なるものが原因で共産党の伸張が結果だなどという中国人の言い分をそのまま認めているのは如何なものだろう。まあ、それがかねてからの持論だと言うならそれでもいいのだが。
で、42-43頁の方に移るけど、苹さんの御指摘でよくわからないのが姜氏との比較をされているところ。確かに、姜氏も相当あやしい人だとは思うが(もっとも、あの時の朝生の最初の方で喋っていたことは比較的良かった。「おっ、真っ当なことも言うじゃないか」と少し見直す気分になりつつあったくらい。そのすぐ後でいつものグジャグジャになってしまったけれども^^;)、ただ、氏が「自らの言行について奇妙な釈明をして逃げ回った揚句、正直に公表した人たちに対して逆ギレして批難を加える」なんてことをしていた例が思い当たらない。もし、何かご存知ならご教示を^^
そもそも、『赤旗』の取材ではなく防衛省の問い合わせに対して何故拒否したか、ということの方が重要な筈。それすら説明していない、いやするつもりがない。そして、田母神さんについても、書いた内容ではなく発表したこと自体がけしからん、となるのだからのねえ。以前、安倍さんが辞任した時に「二度と会うつもりはない」と言い切ったその態度と相通ずるものがないとはいえないが(笑)。
結局、この人の言動には一貫性が見られない。昨日と今日とで180°違う発言をすることも珍しくない。例えばついこの間まで皇太子殿下の廃位をほのめかしていたのに、最近では「一日も早く公務を肩がわり」——つまり摂政に——と言っているように(『週刊ポスト』12月19日号)。考えが変わったというならそれでもよいが、その場合、これこれの理由で以前の意見は取り消します程度のことはせめて説明するのが当然だと思うのだが。まさしく幇間言論人の面目躍如といったところではあるが、結局、この人に限っていえば自身の言動に対する責任感がないだけなのか、それとも自信が持てないことに起因しているのか…。さて、苹さんはどう思われます?
328-329頁の「書評」を何の気なしに読み進めていて、最後の評者名に至って驚愕した。「あっ、マトモなことを言っている?!」と思ったからである。慌てて読みかえと、マトモなのも道理、単に取り上げられた対談本の内容要約に過ぎなく(それに小生が賛成するかどうかは「マトモ」ということとは別)、「評」と称するに足りる箇所は末尾の「興味の尽きない指摘に富んでいる」くらいなものだった。これでは書評どころか、高校生の読書感想文の域にも達しないのであるが、それは別としても、「当事(ママ)の満州で抗日気分が高まるのは必然」とか、「日本軍による農村の掠奪」なるものが原因で共産党の伸張が結果だなどという中国人の言い分をそのまま認めているのは如何なものだろう。まあ、それがかねてからの持論だと言うならそれでもいいのだが。
で、42-43頁の方に移るけど、苹さんの御指摘でよくわからないのが姜氏との比較をされているところ。確かに、姜氏も相当あやしい人だとは思うが(もっとも、あの時の朝生の最初の方で喋っていたことは比較的良かった。「おっ、真っ当なことも言うじゃないか」と少し見直す気分になりつつあったくらい。そのすぐ後でいつものグジャグジャになってしまったけれども^^;)、ただ、氏が「自らの言行について奇妙な釈明をして逃げ回った揚句、正直に公表した人たちに対して逆ギレして批難を加える」なんてことをしていた例が思い当たらない。もし、何かご存知ならご教示を^^
そもそも、『赤旗』の取材ではなく防衛省の問い合わせに対して何故拒否したか、ということの方が重要な筈。それすら説明していない、いやするつもりがない。そして、田母神さんについても、書いた内容ではなく発表したこと自体がけしからん、となるのだからのねえ。以前、安倍さんが辞任した時に「二度と会うつもりはない」と言い切ったその態度と相通ずるものがないとはいえないが(笑)。
結局、この人の言動には一貫性が見られない。昨日と今日とで180°違う発言をすることも珍しくない。例えばついこの間まで皇太子殿下の廃位をほのめかしていたのに、最近では「一日も早く公務を肩がわり」——つまり摂政に——と言っているように(『週刊ポスト』12月19日号)。考えが変わったというならそれでもよいが、その場合、これこれの理由で以前の意見は取り消します程度のことはせめて説明するのが当然だと思うのだが。まさしく幇間言論人の面目躍如といったところではあるが、結局、この人に限っていえば自身の言動に対する責任感がないだけなのか、それとも自信が持てないことに起因しているのか…。さて、苹さんはどう思われます?
苹先生に感謝感謝^^ キルドンム - 2009/01/05(Mon)20:10 No.7364
なるほど、いまなおあの頃の書法といえば碑学派が幅をきかしているわけか…。そろそろ発想の転換と新しい書道史観の確立とを、などと阿呆がここで叫んでもどうにもなるものではないけど。ちなみに唐土では帖学派もそれなりに尊重されている模様(劉石庵などテレビドラマにもなっているし)。
こちらでも本日図書館で『書跡名品叢刊』(ええと、総索引を見られたということはひっとしたら合訂本をお持ちということですか。すごいなあ)の「定武本蘭亭叙跋」だけは確認。確かにおとなしい書風で、これをそのまま条幅にすれば少し弱いかな、という感じを受けました。と思いつつ『明清書道図説』を見ると、これまたびっくり。全然書風が違う(特に133番)。こりゃ真贋判定などをする際、こういった書風の変化にも十分注意せねばならないのもうなづけます(榮豊齋のは大丈夫かな? 最近あちらでも鑑定のマニュアル本などがよく出版されていますけど)。素人目にはただただ厄介にみえるとしても。詩人としては、夢楼は少し「粗い」ように思っているのですが、どちらの書風が自作を書すのにふさわしいか、さてさて…。
何で王夢楼の話を始めたかというと、竹林の方に少し書いたように讃州の金毘羅宮に初詣、じゃなかった、「二の詣」^^;に行ってきたのですが、その時、旭殿という神殿の楼上に夢楼の匾額が掛かっていたので吃驚仰天。しかも「降神觀」と如何にもな文句。早速狂喜して(汗)、カメラに収めてきたのですが、気になるのは何でこんなところに、ということ。夢楼が金毘羅大明神の霊威を聞きつけ、感激のあまり奉納したのか、それとも日本からの注文でもあったのか…。ひとつだけ言えることは、神社すらもすでに早くから異国の文化浸透がすすんでおり、しかもそれを誰も訝しく思ってはいない、ということ。文化的諸要素の同質性がいつの間にか、文明的同一化に転化するおそれはないのだろうか。現に「仕事の都合」(あくまで「仕事」です^^;)で池袋などに行くことも多くなってきていますが、すでにあの辺「租界化」しているみたいですし…。もはや手遅れかもという思いはあるとしても、やはり言い続けなければなりませんね(嗚呼)。
あ、ついつい夢中になってしまい、『正論』の件が(汗)。稿をあらためて。
こちらでも本日図書館で『書跡名品叢刊』(ええと、総索引を見られたということはひっとしたら合訂本をお持ちということですか。すごいなあ)の「定武本蘭亭叙跋」だけは確認。確かにおとなしい書風で、これをそのまま条幅にすれば少し弱いかな、という感じを受けました。と思いつつ『明清書道図説』を見ると、これまたびっくり。全然書風が違う(特に133番)。こりゃ真贋判定などをする際、こういった書風の変化にも十分注意せねばならないのもうなづけます(榮豊齋のは大丈夫かな? 最近あちらでも鑑定のマニュアル本などがよく出版されていますけど)。素人目にはただただ厄介にみえるとしても。詩人としては、夢楼は少し「粗い」ように思っているのですが、どちらの書風が自作を書すのにふさわしいか、さてさて…。
何で王夢楼の話を始めたかというと、竹林の方に少し書いたように讃州の金毘羅宮に初詣、じゃなかった、「二の詣」^^;に行ってきたのですが、その時、旭殿という神殿の楼上に夢楼の匾額が掛かっていたので吃驚仰天。しかも「降神觀」と如何にもな文句。早速狂喜して(汗)、カメラに収めてきたのですが、気になるのは何でこんなところに、ということ。夢楼が金毘羅大明神の霊威を聞きつけ、感激のあまり奉納したのか、それとも日本からの注文でもあったのか…。ひとつだけ言えることは、神社すらもすでに早くから異国の文化浸透がすすんでおり、しかもそれを誰も訝しく思ってはいない、ということ。文化的諸要素の同質性がいつの間にか、文明的同一化に転化するおそれはないのだろうか。現に「仕事の都合」(あくまで「仕事」です^^;)で池袋などに行くことも多くなってきていますが、すでにあの辺「租界化」しているみたいですし…。もはや手遅れかもという思いはあるとしても、やはり言い続けなければなりませんね(嗚呼)。
あ、ついつい夢中になってしまい、『正論』の件が(汗)。稿をあらためて。
ホームレス公務員の時代がくるぞぉ。 苹@泥酔 - 2009/01/05(Mon)02:51 No.7363
私の場合は西尾幹二「私の墓」に何度もショックを受ける正月、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。こちらは「日録」管理人様に宛てて、丁寧なクレームを冗談交じりに非表示カキコしてますた(笑)。〜以下はキルドンム様宛の四方山話。
王貞治…じゃなくて王文治ですか。なんか文治とか義之なら日本人でも通用しそうな紛らわしい名前ですけど(笑)、残念ながら帖学派の人は大学生以下に余り知られていなかった筈。それでも拓本ばかりでなく跋文まで見る人なら一度は「ウマイな」と思っただろうし、初歩中の初歩と云える孔子廟堂碑や蘭亭叙を見れば王文治や翁方綱の名前に触れるのは当然。ただし臨書の対象にはならない筈です。
…今、二玄社の『書跡名品叢刊』が現役だった頃を思い出しながら書いてます。総索引を見ると一冊に纏まってる帖学派は劉石庵や包世臣で、文治は各冊の跋文にちらほら見える程度。梁同書もウマイけど名品叢刊には載ってなく(榮豊齋のセールには出てた…)、文治と同様におとなしい書きぶり。王虚舟は書風よりも著作の方ばっか目立ってる点で空振り気味かも。それらと比べての印象なら結局「王文治は跋文」って事になります。〜その後は叢刊が絶版になって『中国法書選』の時代へ。そちらを使った世代の感覚だとどうなるのかな。或いは纏めて青山杉雨『明清書道図説』辺りを教科書代わりにしてるのかも。
ううう…チクショウ、余計なのを思い出した。偶々手元に残ってた1992年の冬季大感謝祭チラシ(榮豊齋)を見ると、王文治のはないけど梁同書の尺牘16葉1帙1冊\750,000、王虚舟の臨九成宮醴泉銘1帙1冊\1,300,000、翁方綱の臨興福寺断碑1帙1冊\1,200,000などが載ってる。無一文の苹にチラシ送っても無駄なんで間もなく途絶えたけど、そのせいかな、まだ手元に残ってるのは。(つまりチラシが当時のささやかな記念品…orz)
王貞治…じゃなくて王文治ですか。なんか文治とか義之なら日本人でも通用しそうな紛らわしい名前ですけど(笑)、残念ながら帖学派の人は大学生以下に余り知られていなかった筈。それでも拓本ばかりでなく跋文まで見る人なら一度は「ウマイな」と思っただろうし、初歩中の初歩と云える孔子廟堂碑や蘭亭叙を見れば王文治や翁方綱の名前に触れるのは当然。ただし臨書の対象にはならない筈です。
…今、二玄社の『書跡名品叢刊』が現役だった頃を思い出しながら書いてます。総索引を見ると一冊に纏まってる帖学派は劉石庵や包世臣で、文治は各冊の跋文にちらほら見える程度。梁同書もウマイけど名品叢刊には載ってなく(榮豊齋のセールには出てた…)、文治と同様におとなしい書きぶり。王虚舟は書風よりも著作の方ばっか目立ってる点で空振り気味かも。それらと比べての印象なら結局「王文治は跋文」って事になります。〜その後は叢刊が絶版になって『中国法書選』の時代へ。そちらを使った世代の感覚だとどうなるのかな。或いは纏めて青山杉雨『明清書道図説』辺りを教科書代わりにしてるのかも。
ううう…チクショウ、余計なのを思い出した。偶々手元に残ってた1992年の冬季大感謝祭チラシ(榮豊齋)を見ると、王文治のはないけど梁同書の尺牘16葉1帙1冊\750,000、王虚舟の臨九成宮醴泉銘1帙1冊\1,300,000、翁方綱の臨興福寺断碑1帙1冊\1,200,000などが載ってる。無一文の苹にチラシ送っても無駄なんで間もなく途絶えたけど、そのせいかな、まだ手元に残ってるのは。(つまりチラシが当時のささやかな記念品…orz)
帰って来ましたが キルドンム - 2009/01/04(Sun)23:21 No.7362
本日、帰宅しました。いやはや、父親が骨折するなど(ナベツネのせい…といえるかは微妙^^;)、大変な正月ではありました。詳細は竹林の方で。
疲労困憊の状態ではありますが、まず『新潮45』の森本氏の文章について。「しかし」や「他方」という語句が多用し、むやみに話を転換しようとしているのが気になりました。「バランス」をとろうとしたのかも知れませんがかえって主旨が不明確になってしまっているのでは。
波浪さんご指摘の「偏った思想の専門家」の教育を受けるのも、日常付き合うのも控えよ、という意見もよくわからないところなのですね。そもそも氏自身(秦先生も)が時として、一部の人たちからはその「偏った思想の専門家」と看做されかねない訳だし、一体どういうものが「偏向」なのか、そしてそれが何故「現代戦の勝利」に結びつかないのかを具体的に説明して欲しい。もっとも、氏のみならず他ならぬその講師となった人自身(本人はその事実を認めているのか、いないのか理解不能なことを述べ立てているけれども)が自らの立場を「特定の傾向」ありと言ってしまっているのだから、始末に困る(嘆)。
ああ、それに秦先生と森本氏との間に挟まれている人。三人の中では擁護派に属するようですが、一番ひどい(笑)。福田サンを近年の首相の中では評価しているのはさておき、あの教科書誤報事件に関して「江沢民が鄧小平の後継者に擬せられていた」などと平然と無茶苦茶なことを書いている。田母神さんが、「洪思翊・白善準両将軍が創氏改名していない」と述べたのに倣ったつもりかしら。でも、少なくとも「学者」を称するものとしては…。
苹さんへのご返事はすでに上文の中で少し触れたかも知れませんが、また明日あらためてします。その前にちょっと質問。清の王文治(夢楼)は、現代日本書道界においてどの程度祖述され、また評価されているのでしょうか?
疲労困憊の状態ではありますが、まず『新潮45』の森本氏の文章について。「しかし」や「他方」という語句が多用し、むやみに話を転換しようとしているのが気になりました。「バランス」をとろうとしたのかも知れませんがかえって主旨が不明確になってしまっているのでは。
波浪さんご指摘の「偏った思想の専門家」の教育を受けるのも、日常付き合うのも控えよ、という意見もよくわからないところなのですね。そもそも氏自身(秦先生も)が時として、一部の人たちからはその「偏った思想の専門家」と看做されかねない訳だし、一体どういうものが「偏向」なのか、そしてそれが何故「現代戦の勝利」に結びつかないのかを具体的に説明して欲しい。もっとも、氏のみならず他ならぬその講師となった人自身(本人はその事実を認めているのか、いないのか理解不能なことを述べ立てているけれども)が自らの立場を「特定の傾向」ありと言ってしまっているのだから、始末に困る(嘆)。
ああ、それに秦先生と森本氏との間に挟まれている人。三人の中では擁護派に属するようですが、一番ひどい(笑)。福田サンを近年の首相の中では評価しているのはさておき、あの教科書誤報事件に関して「江沢民が鄧小平の後継者に擬せられていた」などと平然と無茶苦茶なことを書いている。田母神さんが、「洪思翊・白善準両将軍が創氏改名していない」と述べたのに倣ったつもりかしら。でも、少なくとも「学者」を称するものとしては…。
苹さんへのご返事はすでに上文の中で少し触れたかも知れませんが、また明日あらためてします。その前にちょっと質問。清の王文治(夢楼)は、現代日本書道界においてどの程度祖述され、また評価されているのでしょうか?